Mar 09, 2009
コールセンターはどこにありますか。
事業をしていくときに必要な場合が多いのがコールセンターです。主に、クレームや案内などの業務は、製品の販売に欠かせません。ただし、設置場所に応じて、費用にかなりの違いがあります。そのため、大規模なコールセンターを考えるならば、地方都市に設置することをお勧めします。電話サービスなので、お客様は、どこでサービスを受けているのかは知らないので、コストのかからない場所がいいです。小規模オフィスでの営業など外回りの仕事が多いところでは、留守中の電話に出ることの寺院ができないという問題があるのではないでしょうか。不在着信を受けてくれるサービスを推薦するのは、電話代行しています。電話代行の専門業者と契約をすれば、オフィスに誰もいない場合でも、会社の名前を名乗って電話に出て注目して外出先でも、従業員との連絡もスムーズに行えます。
大和郡山市と大阪府泉大津市など8市1町が、約2年半前に結んだ広域災害ネットワーク協定の加盟自治体が15に増え、6月6日に改めて、「市町村広域災害ネットワーク災害相互応援に関する協定」を東京で締結する。
大規模災害時、地域が離れた自治体間で応急対策や復旧などで協力するシステムを構築しようと、09年1月に協定を結んだ。加盟自治体は当初、近畿6市と高知、福岡の3市町だったが、岡山、愛知、三重、岐阜、島根の各1市がその後に加盟。今回、さらに宮崎県日向市が加わる。
離れた自治体間の協定は、同時被災の可能性が低いため、災害発生初動期の素早い支援が可能になるなどのメリットがある。協定では、被災自治体への食料や物資、資機材の提供、職員の派遣、医療機関での傷病者らの受け入れなどを盛り込む。【熊谷仁志】
5月31日朝刊
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◇もう撮れないから大事にしないと 「支え合う」社会の原点実感
東日本大震災の被害を取材するため、8日から約2週間、福島県内の現地に入った。がれきの山の間を歩き、同県川内村の一時帰宅や県災害対策本部会議、福島市内の小学校などで被災者から話を聞いた。県内最大の被災地、南相馬市では震災から2カ月たった今も、東京電力福島第1原発事故の影響が色濃く残っていた。そして1枚の写真が人間の心をいかになぐさめ、社会は人間同士の支え合いで成り立っていることを実感した現地取材だった。【阿部亮介】
漁業や農業が盛んな南相馬市の海沿いは、地震による津波で、多くの人命と家屋が流された。その風景は戦争による焼け野原を連想させ、一面はがれきの山があるのみだった。
がれきから発見された被災者の思い出の品を展示する会場があると聞き、足を運んだ。地震や津波、その後の風雨を耐え忍んだ写真やアルバム、位牌(はい)、ランドセル、賞状などさまざまなものが、持ち主に探されるのを待っていた。会場周辺を取材していると、大事そうにアルバムを胸に抱えた女性に出会った。女性は鈴木京子さん(56)と名乗り、南相馬市に住んでいたが、津波で家を流されたため、今は北隣の相馬市にいる兄のアパートに身を寄せているという。
アルバムが見つかったのかと尋ねると、鈴木さんは息を切ったように話し始めた。「いやぁ、とてもほっとした。若いときの写真はもう撮れないし。私の中学生のころや、10代の写真もある。そして、夫のもね」。夫の春雄さん(当時59歳)は、震災当日、仕事を終えて帰宅途中に津波の被害に遭い、亡くなったという。アルバムを開きながら、鈴木さんは続けた。
「これが夫。若いわね。夫の写真はもう撮れないから、大事にしないと」と話し、「何もなくなってしまった。戻ろうにももう戻れない。今着ている服も救援物資。ちょっとサイズが大きいでしょ」と気丈に笑い、「こうしてアルバムを探してくれたボランティアの人には、本当に感謝している」と話した。
被災地にはたくさんのボランティアが活動していた。展示されているアルバムや位牌などについた汚れを落とすのも活動の一つ。自衛隊などが捜索して見つけたものを天日干しで乾かし、ついた泥をはけなどできれいにぬぐう作業を続ける。
ボランティアには、さまざまな人たちがいた。平日は働き、土日に南相馬市に来る東京都のサラリーマンや会社を辞めた無職の京都市の男性など、全国から集まっていた。福島第1原発事故の影響で、宮城や岩手より人が集まりにくい状況だったが、「自分がやらなきゃ誰がやる」という気概を持っていた。ボランティアの一人、東京都の会社員、阿南幸治さん(47)は「写真は幸せな時に写したもの。それだけに持ち主に返したい気持ちで続けている」と話す。
極限状況の中で感じたのは、社会は人間同士の支え合いで成り立っているという、ごく当たり前のことだった。こうした原点を改めて見つめ直し、私自身も復興の手助けをしたいと強く感じた。
5月31日朝刊
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