Feb 05, 2009

私なりのクリアファイルの使用方法

クリアファイルは、書類を整理したりする私にはかなりお世話になっているフレーズです。私なりのクリアファイルの目的は、インターネット上で印刷された料理レシピをクリアファイルに入れて、自分の作りたい料理のクリアファイルを解凍し使用して終了するとクリアファイルに再び使用法が主な方法です。また、面接に行くとき履歴書などの重要な書類をクリアファイルに入れて履歴書を折り曲げたり丸めたりするのを防ぐために使用しています。たまにコンビニに行ってクリアファイルを受信する条件になるおやつ類を購入するとクリアファイルを受信できますが、そのクリアファイルがとても可愛くて、いつ使ってもいいように、机の中に入れている状態です。
従業員の研修をすると、自分の欠点を見つけることです。私は、従業員の研修を行ったとき、電話応対のシミュレーションを行ったが、会話の間に"あ"という余計な言葉が含まれていたことを指摘した。職員研修を実施しなければわからなかったことだ。このような隠れた性癖を見つけるためにも、頻繁に従業員の教育をするといいだろう。
 県は3日、福島第1原発事故による風評被害が農産物だけでなく工業製品にも広がっているとして、県ハイテクプラザ(郡山市)で製品の放射線量測定を無料で行うと発表した。
 県商工労働部によると、県内の製造品出荷額(09年)は約4兆7245億円で東北トップ。同プラザには事故後、「取引を停止された」「放射線量の証明書を求められた」などの相談が約50件寄せられたという。小型部品や衣類、加工食品にも影響が出ており、台湾や欧米などでは輸入制限の動きも出ている。
 受け付けは4日から午前8時半?午後5時15分。測定結果は書面で証明する。問い合わせは同プラザの相談窓口(024・959・1739)。【関雄輔】

4月4日朝刊

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 ◇「今だからこそ本分を」
 中心部が福島第1原発から半径20?30キロ圏内にあり、政府が自主避難を促している南相馬市。東日本大震災では、津波で多数の死者・行方不明者が出たが、多くの僧侶は避難したまま。葬儀もままならない状況の中、避難先から市内に戻って、ボランティアで供養を続けている僧侶がいる。【平野光芳、関雄輔】
 原発から約22キロにある岩屋寺(がんおくじ)の住職、里見泰寛(たいかん)さん(46)は24日、家族を会津美里町の親類宅に残して、お寺に戻った。震災後、檀家(だんか)の安否や避難を確認した後、前住職の父、全英さん(74)や妻、中高生の3人の子を連れて避難していた。
 しかし、「南相馬では、読経もできず遺体が火葬されている」と聞き、居ても立っても居られなくなった。南相馬市で確認された死者は358人、行方不明者1116人。市営の斎場では4基の炉が24時間動く。身元が分からない遺体は、DNAサンプルを取って火葬している。
 里見さんは、市内にとどまっていた泉龍寺の住職、石川信光さん(58)と一緒に斎場に常駐し、宗派を問わずボランティアで供養をしている。「3ケタの番号で呼ばれる身元不明の遺体に接すると、やるせない気持ちがする」。でも、自分の読経で、遺族が安心したような表情を見せてくれる時は、何よりもやりがいを感じる。
 里見さんは「他県の被災地は日々復興しているのに、福島では原発のせいで何も手を付けられずにいる所が多い。そんな今だからこそ、僧侶の本分を果たしたい」と話している。

4月4日朝刊

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 会津若松市に集団移転を決めた大熊町(人口約1万1500人)の避難住民の移動が3日始まり、1150人が2次避難所となるホテルや旅館などに到着した。4日までに所在確認ができた町民3000人のうち2160人が、県が確保した同市と喜多方市内の宿泊施設に移る。今後、県外に避難している町民も100人規模で合流する見込み。
 福島第1原発がある同町は、先月12日の避難指示に伴い、災害対策本部などの役場機能を田村市内に移した。しかし、町民が約20カ所に分散避難し、町としての機能が果たせないことなどから、同24日、全町規模での集団避難の受け入れを会津若松市に依頼した。
 役場機能を同市追手町の市分庁舎に移す準備を進めており、大部分の職員が異動し同町会津若松出張所として5日に開所する。小中学校は同市河東町大田原の旧河東第3小学校に設置。先月末時点で、小学生209人、中学生121人が通学の意思を示している。
 この日の第1陣は、田村市などに1次避難していた約100人。鈴木茂副町長が先導し、避難先の同市東山町のホテルで、菅家一郎会津若松市長らの出迎えを受けた。
 町民たちは仮設住宅など一定の生活基盤が整う7月まで、県が準備した84施設に滞在する。宿泊費や基本的な食費は県が負担する。妻と一緒に移動する男性(70)は「避難所での生活も疲れた。ここにもいられないから行くだけ」と話した。【太田穣、和泉清充】

4月4日朝刊

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